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東京高等裁判所 昭和52年(う)1539号 判決

被告人 中西幸雄

主文

本件各控訴を棄却する。

理由

被告人の控訴の趣意は、弁護人高橋一郎ほか二名連名作成名義の控訴趣意書に記載されたとおりであり、検察官の控訴趣意は、東京地方検察庁検察官検事大堀誠一作成名義の控訴趣意書に記載されたとおりであつて、右検察官の控訴趣意に対する答弁は、弁護人高橋一郎ほか二名作成名義の答弁書に記載されたとおりであるから、これらをここに引用し、これに対して、当裁判所は、次のとおり判断する。

弁護人高橋一郎ほか二名の控訴趣意について

所論は、原判示有罪部分につき、「被告人は、本件犯行の日とされている昭和五一年九月一七日は、午前一〇時すぎころ、大阪市大正区泉尾町所在三泉市場通り商店街内の喫茶店「泉」において、麻雀仲間である岩原保およびその妻と出合い、同人らとコーヒーを飲みながら雑談し、午前一一時すぎころ、同人らとともに同店の隣の「丸玉パチンコ店」に入り、午後二時ないし三時ころまで遊んでいたが、負けてばかりいてつまらないから、麻雀でもしようということになり、岩原保と二人で、近くにある顔なじみの麻雀屋「三泉クラブ」に赴き、同店で、たまたま来合わせた池田某および同店の主人武川福一の両名を加え、四人で午後一〇時ころまで麻雀をしていたもので、原判決が犯行時と認定する同日午後三時ころ、犯行場所と認定する東京都港区高輪三丁目一三番一号高輪プリンスホテルに赴くことは絶対に不可能であつたから、被告人が、同日午後三時ころ、右ホテル内で中山政隆こと蒋芳耀から原判示覚せい剤を譲り受けた旨認定した原判決は、明らかに判決に影響を及ぼす事実を誤認したものである。」というのである。

そこで検討すると、被告人は、原審公判廷において、所論にそう供述をしていることが認められるけれども、記録を調査し、当審における事実取調の結果をも加えて検討してみても、右被告人の供述を裏づけるに足りる証拠は存在しない。すなわち、当裁判所の証人岡村喜美子に対する尋問調書によれば、「私は、被告人の妹で、尼崎市に居住しているものであるが、昭和五一年九月一九日、実父が大阪市大正区鶴町四丁目一〇番一号の実家で死亡したので、兄弟や親戚が集つたが、被告人だけ来なかつたので、被告人の妻に聞いたが、所在が判らなかつた。翌二〇日に、葬式の手伝をしていた近所のおばさんが、被告人はよく市場の中にあるパチンコ屋に行つているという話をしてくれたので、丸玉パチンコ店に行き、店員斉藤宮重に会つて被告人のことを尋ねたところ、同人は、「三日ほど前は来ていたが、今日は来ていないね。」と言つた。(なお、当裁判所の証人斉藤宮重に対する尋問調書によれば、同人は、岡村喜美子から聞かれて、「二、三日前までは来ていたけれど、いまは見えていない。」と返事した旨供述している。)。それから、斉藤が、同店に来ていた岩原保さんにも聞いてみようといつて、一諸に岩原保のところにいつて聞いてみたら、「二、三日前は来ていたが、今日は来ていないね。」と言つた(なお、当裁判所の証人岩原保に対する尋問調書によれば、同人は、岡村喜美子から聞かれて、「三日前には一諸に麻雀をしたけど、それからは一回も会つていない。」と返事した旨供述している。)。」旨供述しているのであるが、右供述(証人斉藤宮重、同岩原保の前記各供述を含む。)からは、被告人が主張するように、被告人が午後三時ころまでパチンコ店「三泉クラブ」で遊んでいた日が、昭和五一年九月一七日であるかどうかは必ずしも明白であるとはいい難い。所論は、右証人岡村喜美子、同斉藤宮重、同岩原保らの各供述は、被告人が本件で逮捕され、相当期間が経過した時点で、当時のことを思い出した供述であるとしても、被告人の父親の死亡という特殊な事実が介在しているから、原審証人蒋芳耀および同李偉成の各供述と比較して信用性が高いというのであるが、被告人は、昭和五一年九月一八日午後三時二〇分、原判示高輪プリンスホテル八五二号室において蒋芳耀が覚せい剤取締法違反の現行犯人として逮捕された際、同室に居合わせたものであるところ、蒋芳耀は原審公判廷において、証人として尋問をうけ、「逮捕された前日である同月一七日にも、被告人が右ホテルに来たので、覚せい剤四〇〇グラムを被告人に譲り渡した。」旨供述し、また、右取引に立ち会つた李偉成も、原審公判廷において、証人として尋問をうけ、「九月一七日二時ころ、蒋芳耀が一人の男を高輪プリンスホテルの私の部屋に連れて来た。その人の顔ははつきり覚えていないが、あとで蒋から、あの男は中西という男だと教えてもらつた。蒋は、その男と覚せい剤取引の話をして、品物を渡した。」旨供述しており、右各供述は、蒋芳耀の検察官に対する供述調書中の供述記載を含めて、その間に、所論指摘のようなくい違つた部分も認められないわけではないが、被告人が、昭和五一年九月一七日午後三時ころ、原判示高輪プリンスホテルにおいて、蒋芳耀から本件覚せい剤を譲りうけた旨の供述部分については、その信用性に欠けるところがあるとは認められないのであつて、当審証人岡村喜美子、同斉藤宮重、同岩原保の前記各供述は、原審証人蒋芳耀、同李偉成の各供述と対比し、これと相反する部分については措信することはできない。

そして、原判決挙示の各証拠を総合すれば、原判示のとおり、被告人が、法定の除外事由がないのに、営利の目的で、昭和五一年九月一七日午後三時ころ、原判示高輪プリンスホテル六六四号室において、中山政隆こと蒋芳耀から原判示覚せい剤粉末約四〇〇グラムを代金二四〇万円で譲り受けた事実を認めることができ、記録を調査しても、右認定を左右するに足りる証拠は存在せず、当審における事実取調の結果も右認定を覆すに足りないから、原判決には所論のような事実の誤認は認められない。論旨は理由がない。

検察官の控訴趣意第一の二(事実誤認)について

所論は、原判示無罪部分につき、要するに、「原判決は、本件覚せい剤の取引は、被告人および蒋芳耀において、それぞれ譲り受けないし譲り渡しの意図をもち、かつ、被告人において、蒋に対し、売買の話合いに赴く旨予告し、蒋においてもこれを諒解していたものの、両者間にはいまだ右覚せい剤売買につき、合意が成立しておらず、覚せい剤の授受がなされるためには、なお両者の間で、右合意のための発言ないし動作を必要とする段階にあつたのに、被告人は、高輪プリンスホテル八五二号室の蒋の部屋に入つた後、食事などしたにとどまり、被告人蒋も、覚せい剤の取引に関して何らの話も動作もしないうちに、麻薬取締官が右部屋に立ち入り、蒋を覚せい剤所持の現行犯人として逮捕したものであるから、被告人が本件覚せい剤譲り受けの実行に着手したものということはできない旨判示したが、本件は、被告人と蒋とが、蒋の所持する覚せい剤約一〇〇グラムを被告人が買いうけることを合意し、かつ、その履行として、右覚せい剤と代金の授受につき、これを行なう日時および場所を予め打合わせたうえ、これに基づき被告人において、代金支払いに当てる現金を所持して覚せい剤を引きとるべく、打ち合わせにかかる右場所を訪れ、一方、蒋も、同所で、被告人に引き渡すべき覚せい剤を所持して待機し、両者が同所で対面した事実を優に認めることができ、当然覚せい剤の譲り受けの実行の着手があつたものと認められる事案であることが明らかであるから、原判決は、判決に影響を及ぼすこと明らかな事実の誤認をおかしたものである。」というのである。

そこで、記録を調査し、当審における事実取調の結果をも加えて検討すると、原判決が挙示する各証拠のほか、証人蒋芳耀の原審第二回公判廷における供述、証人李偉成の原審公判廷における供述、蒋芳耀の検察官に対する昭和五一年一二月八日付(ただし、四枚目裏五行目から一二行目までを除く。)同月一四日付(ただし、四枚目一行目から九行目までを除く。)各供述調書、証人蒋芳耀の当審公判廷における供述を総合すれば、

1  被告人は、昭和五一年五月ころ、香港のエンプレスホテルにおいて、陳紹堂を介して蒋芳耀と知り合い、陳より覚せい剤のサンプルを示され、八〇万円の予約金を支払つて、同人らが、日本国内に密輸入した覚せい剤を一キログラム当り六〇〇万円の割合で買い受ける約束をしたこと、

2  その後、被告人は蒋より、同年六月一九日約四五〇グラム、同月二一日約二五〇グラム、同月三〇日、および同年七月一日いずれも五〇〇グラム、同年七月一四日約四〇〇グラム、同月一五日約六〇〇グラム、同年八月二二日および同月二三日いずれも約五〇〇グラムの覚せい剤を、東京都、大阪市内等のホテルで、一グラム当り六、〇〇〇円の割で買い受けたこと

3  同年九月上旬ころ、蒋芳耀は、韓中求より覚せい剤の注文をうけ、香港の密輸グループの連絡係にその発送を依頼しておいたところ、同月一六日、当時宿泊中の原判示高輪プリンスホテル八五二号室の部屋に、同じグループの運び屋である李偉成が覚せい剤約一キログラム(五〇グラム入りのもの、二〇袋)を運び込んで来たので、翌一七日午前一時ころ、韓中求に内約五〇〇グラムを売却し、残りの約五〇〇グラムは、ホテルニユーオータニに泊つていた右密輸グループの首領阮治邦のもとに一たん届けて、同人にこれを預けたこと、

4  同月一七日午前一〇時ころ、蒋は、被告人より、電話で、「例の品物を持つて来ていますか。持つていれば、これから東京に行くが、どうですか。」と覚せい剤買い受けの申し込みをうけ、再度連絡をとるよう告げて一たん電話を切り、阮治邦に連絡して、残りの約五〇〇グラムの覚せい剤を被告人に売却することの了解を得、右覚せい剤を前記高輪プリンスホテル六六四号室の李偉成の部屋に移しかえ、被告人に売り渡す準備をし、その後、電話をしてきた被告人に「薬はあるよ。」と答え、被告人の買受の申し込みを承諾したこと、被告人は、直ちに、「午後一時の飛行機で行く。」旨告げたうえ、上京し、同日午後三時ころ、前記高輪プリンスホテル八五二号室の蒋方を訪れたが、その際、被告人が四〇〇グラムの代金に相当する現金二四〇万円しか持参しなかつたため、当日はとりあえず、右二四〇万円と引きかえに、前記覚せい剤五〇〇グラムのうち約四〇〇グラム(約五〇グラム入りのもの八袋)を、前記李偉成の部屋で、蒋より譲り受けたこと(原判示有罪部分の犯行)。その際、被告人は、蒋に対し、翌日も金を用意して覚せい剤を買いに来る旨を告げ、同人もこれを了承したこと(なお、その際、被告人は、前記のとおり、輸入にかかる約一キログラムの覚せい剤のうち約五〇〇グラムが、既に韓中求に売却されていることを蒋から知らされたことはなく、また、残りの覚せい剤約一〇〇グラム((五〇グラム入り二袋))を同人から示され、残りはこれだけしかない旨告げられた形跡も窺われないから、被告人としては、蒋の手もとに、なお約六〇〇グラムの覚せい剤が残つていると考えていたと思われるふしがある。このことは、後記認定のとおり、翌一八日に被告人が、六〇〇グラムの覚せい剤の代金に相当する三六〇万円の現金を持つて、右蒋方を訪れていることからも窺うことができる。)、

5  被告人は、翌一八日午前一一時ころ、前記高輪プリンスホテルの八五二号室にいる蒋に電話をかけ、同日午後同室に赴く旨を告げ、同人も待つている旨答えたこと、被告人は、右予告どおり、覚せい剤粉末を買いうける意図のもとに、現金三六〇万円を持参して、同日午後二時三〇分ころ、右蒋方の部屋を訪れたこと、その時、蒋は、同室洋服箪笥内の自己の背広ポケツト内に、本件覚せい剤約九三・〇六グラム(二袋)を、被告人に売り渡す意図のもとに、所持していたこと、

6  被告人は、同室に入るや、「腹が減つた。昼食まだ食べてない。食事をしたい。」と言つて、蒋を介してルームサービスの食事を注文し、ボーイの接待で食事を終え、ボーイが室外に退去した後、コーヒーを飲みながら、同室に居合わせた蒋の友人陳至柔と、香港の時計の話などをしていたこと、その時(同日午後三時すぎころ)、麻薬取締官が、蒋に対する覚せい剤取締法違反被疑事件について、令状に基づき捜索差押を実施するため、同室に立入り、捜索の結果、蒋の背広ポケツト内にあつた前記覚せい剤を差し押え、蒋をその所持の罪の現行犯人として逮捕したこと、被告人が右蒋の部屋に入つてから、同人が逮捕されるまでの間、被告人と蒋の間で、右覚せい剤の取引ないし受け渡しに関する言動は一切なかつたこと、以上の事実を認めることができる。

所論は、右のような本件覚せい剤の取引に至る経緯に徴すると、前日に取引された覚せい剤約四〇〇グラムと、その残量である本件覚せい剤とは、被告人と蒋芳耀間においては、別個独立の取引ではなく、全体として一個の取引として認識され、九月一七日に覚せい剤約四〇〇グラムを売買した時点で、残量である本件覚せい剤についても、両者間に売買の合意が成立したものと認めるべきであり、右残量について、両者間の認識にくい違いはあるけれども、本件覚せい剤粉末の量が約一〇〇グラムであることを被告人が知つたとしても、被告人にとつて、これが取引の目的にそぐわない量であつたとは認められず、被告人において、これを買い取る意志があつたと認められるから、右覚せい剤約一〇〇グラムについて売買の合意が成立したものと認めるべきであり、右残量の覚せい剤売買の合意の履行として、被告人において現金を用意し、覚せい剤を引きとりに赴く旨蒋に告知したうえで、同人の部屋を訪れた行為は、覚せい剤を譲り受ける実行の着手に該当する旨主張するのであるが、右認定にかかる本件覚せい剤取引の経緯に徴してみても、被告人が昭和五一年九月一七日に蒋芳耀より覚せい剤約四〇〇グラムを買いうけた時点で、本件覚せい剤約九三・〇六グラムをも同人より買い受ける旨の確定的合意まで成立したものとは認め難く(たとい翌一八日取引予定の覚せい剤について、当日あらためてその品質を確認したり、単価について交渉したりする余地はなく、両者の間に一七日の受け渡しと同様履行がなされる旨の黙示の合意があつたことは認められるとしても、一八日に受け渡しをするべき数量については、なんら確認はされておらず、その特定性に欠けるところがあるといわなければならない。)、かりに被告人および蒋において、従前からの右両名の覚せい剤取引の状況から考えて、九月一七日の取引と翌一八日の取引とを一個の取引(所持金が十分にあれば一度に買えたものを、所持金不足のため、取引を二回に分けたという意味での一個の取引)と考えていたとしても、いまだこれをもつて、右両者間に本件覚せい剤売買の確定的合意まで成立していたものとは認め難い(検察官も両罪を併合罪として訴追している。)。したがつて、被告人および蒋芳耀の間において、本件覚せい剤売買、ないし譲り渡し、譲り受けについて合意が成立していたことを前提とする所論は、前提を欠き採用できない(なお、所論は、被告人が覚せい剤を買い受ける金員を所持して、売り渡し人である蒋方を訪れた行為をもつて、覚せい剤譲り受けの実行の着手があつた旨主張するのであるが、右所論の採用できないことは、後記認定のとおりである。)。

記録を調査し、当審における事実取調の結果を加えて検討してみても、以上の認定を左右するに足りる証拠は存在せず、原判決には、所論の指摘するような事実の誤認は認められないから、論旨は理由がない。

検察官の控訴趣意第一の三(法令の解釈適用の誤り)について、

所論は、原判示無罪部分につき、原判決は、覚せい剤譲り受けの実行の着手の意義を、「覚せい剤の所持の移転行為自体を開始することを要せず、所持の移転のための準備行為を開始することで足りる。」としながら、さらに、「その準備行為は所持の移転に密接したものでなければならない。」と解釈したうえ、被告人の本件所為がいまだ実行の着手に該らないとして、覚せい剤の譲り受け未遂の罪の成立を否定したが、覚せい剤取締法に定める覚せい剤の譲り受け未遂の罪における譲り受けの実行の着手とは、当該覚せい剤の所有権の移転又は処分権の付与に伴う所持の移転と解すべきで、その犯罪の実行の着手は、必ずしも所持の移転行為自体を開始することを要せず、所持の移転のために必要な準備行為を開始したときと解するのを相当とするから、原判決が認定した事実関係を前提としても、被告人が、覚せい剤を買い受ける金員を所持して、売り渡し人である蒋芳耀の部屋を訪れ、同人と対面した行為は、まさしく覚せい剤の買入れに伴う所持の移転のために必要な準備行為を開始したもので、覚せい剤譲り受けの実行に該当するものといい得るのであつて、原判決は、ひつきよう右実行の着手の意義を不当に限定して解釈し、本件覚せい剤の譲り受け未遂の罪の成立を否定したものであるから、明らかに法令の解釈、適用を誤つた違法をおかしたものであるというのである。

覚せい剤取締法に定める覚せい剤の譲り受け未遂の罪(同法四一条の二、三項、一項二号、一七条三項)における譲り受けの実行の着手とは、当該覚せい剤の所有権の移転又は処分権の付与に伴う所持の移転行為自体を開始することを要せず、所持の移転のために必要な準備的行為を開始することで足りるものと解すべきことは、所論のとおりであるが、同法が覚せい剤の譲り受けの予備罪まで処罰する趣旨でないことを考慮すると、右準備行為が不当に拡張されることは相当ではないといわなければならないから、原判決が、右準備行為は所持の移転に密接したものに限る旨判示したのは相当であり、原判決が、この点で覚せい剤譲り受けの罪の実行の着手の意義を不当に限定して解釈したものとは認めることはできない。そして、被告人が前記認定のような経緯のもとに、覚せい剤を買い入れるため、その購入資金を持つて、売り人である蒋芳耀方を訪れ、同人においても、被告人に売り渡すべき覚せい剤を用意したうえ、被告人を自己の居室に招じ入れ、両者が相対面しただけで、他に特段の事情が認められない本件においては、未だこれをもつて、被告人において本件覚せい剤を蒋より譲り受ける実行行為を開始したものとは認め難く、原判決が、被告人に対し、覚せい剤譲り受け未遂罪の成立を否定したのは相当であり、法令の解釈、適用を誤つたものとはいえないから、論旨は理由がない。

検察官の控訴趣意第二(量刑不当)について

所論は、本件は犯行の性質、態様等において極めて重大かつ悪質な覚せい剤の密売事犯であつて、情状酌量の余地はなく、原判決が有罪と認めた犯罪事実のみをもつてしても、原判決の量刑は著しく軽きに失して不当であるというのである。

そこで、記録を調査して検討すると、本件の事実関係は、原判決が認定判示するとおり、被告人が、法定の除外事由がないのに、営利の目的で、昭和五一年九月一七日午後三時ころ、原判示高輪プリンスホテル六六四号室において、中山政隆こと蒋芳耀から、原判示覚せい剤粉末約四〇〇グラムを代金二四〇万円で譲り受けたというのであつて、関係証拠によれば、本件は、原判決が「刑の量定の理由」として判示するとおり、覚せい剤粉末約四〇〇グラムの譲り受け一件ではあるが、被告人において、かねてより香港の覚せい剤密輸グループとの連繋のもとに、同グループの一員である蒋芳耀から、営利の目的をもつて、短期間に大量の覚せい剤を買い受け、これを他に売却して利得を図つていたものであること、被告人は、本件犯行を含めて、蒋との覚せい剤取引については一切否認しており、被告人の犯行の背後関係は明らかではないが、右一連の犯行態様からみて、被告人の背後には資金提供者的な元締めがおり、また然るべき販売ルートがある疑いがあり、その他、所論の指摘するように、被告人において、本件犯行を含めて、犯行に至る蒋との一連の取引のすべてを否認ないし黙秘しており、改悛の情が認められないこと、覚せい剤取締法違反事犯の罪質、一般予防的な見地等を合わせ考えると、被告人の本件刑事責任は極めて重大であるといわなければならないが、被告人が特定の暴力団と関係がある者であるかどうかについては明確ではなく、本件覚せい剤を含め、被告人が蒋から買い入れた覚せい剤の販売ルートについても明らかでないこと、被告人には特段の前科、前歴がないことなどの諸事情を考慮すると、被告人に対する原判決の量刑(懲役六年、求刑一二年)が、必ずしも軽きに失して不当であると認めることはできないから、この点に関する論旨も理由がない。

よつて、刑事訴訟法三九六条により本件各控訴を棄却し、当審証人蒋芳耀に支給した訴訟費用は、被告人の無罪部分に関するものであるから、被告人に負担させないこととし、主文のとおり判決する。

(裁判官 綿引紳郎 石橋浩二 藤野豊)

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